マナック 沿革

マナック株式会社は東京日本橋に本社をおく企業。1948年、松永塩業組合より分離し松永化学工業株式会社として創立。1952年写真感光材料、1953年試薬、1958年臭素化合物の生産を開始。2000年東証二部に上場。臭素化反応技術を出発点とし、現在はプラスチックに添加する難燃剤、ヘルスサポート、ファインケミカルの3つを主な事業分野とし、さらにファインケミカル事業は「機能材料」「電子材料」「医薬」の3分野に発展。

マナック 沿革

マナック株式会社は東京日本橋に本社をおく企業。1948年、松永塩業組合より分離し松永化学工業株式会社として創立。1952年写真感光材料、1953年試薬、1958年臭素化合物の生産を開始。2000年東証二部に上場。臭素化反応技術を出発点とし、現在はプラスチックに添加する難燃剤、ヘルスサポート、ファインケミカルの3つを主な事業分野とし、さらにファインケミカル事業は「機能材料」「電子材料」「医薬」の3分野に発展。

沿革

1948年5月 松永塩業組合から分離独立し、苦汁製品の製造・販売を目的として広島県沼隈郡松永町(現広島県福山市松永町)に松永化学工業株式会社を設立。
1952年6月 日本工業規格(JIS)試薬の製造販売認可を取得し試薬業界に進出。
1958年8月 無機臭化物の製造開始。臭素の二次製品関連業界に参入。
1958年10月 写真用フィルム、印画紙向け乳剤(写真感材)の製造・販売を開始。
1959年10月 日本薬局方の製造販売認可を取得し医薬品(局方品)業界に販路拡大。
1959年12月 大阪地域の販売促進を図るため、大阪市東区に大阪営業所を開設。
1962年5月 有機薬品の製造・販売を開始、有機部門に進出。
1964年4月 苦汁工業から脱却自立を図るため、広島県福山市郷分町に本社工場を全面移転。
1968年1月 東日本の販路拡大のため東京都千代田区に東京出張所を開設。
1969年5月 高分子材料の難燃化要求が高まり、難燃剤業界に進出。
1975年4月 子会社 松永化成品株式会社(現エムシーサービス株式会社)を広島県福山市に設立。化成品、化学薬品の仕入・販売を開始。
1977年6月 本社を広島県福山市西町、福山商工会議所ビルに移転。旧本社工場は郷分工場に名称変更。
1978年4月 東京出張所を東京営業所に昇格。
1978年8月 広島県福山市箕島地区工業団地内に取得した用地に、箕沖工場第1期第1次建設の工場設備及び研究所棟完成。
1988年3月 箕沖工場第3期建設設備が完成。郷分工場の生産施設の移転が完了。
1988年4月 松永化学工業株式会社からマナック株式会社に商号変更、郷分工場を郷分事業所に名称変更。
1988年4月 子会社 松永化成品株式会社をエムシーサービス株式会社に商号変更し、目的をマナック株式会社に対する各種サービスの提供他と改める。
1989年4月 営業機能を強化するため営業本部を東京都中央区に設置。
1990年11月 広島証券取引所に株式上場。
1992年1月 箕沖工場に難燃剤大型プラント完成。
1997年10月 広島県福山市箕島地区工業団地内に箕沖第二工場用地を取得。
2000年3月 広島証券取引所の東京証券取引所への合併に伴い東京証券取引所市場第二部上場。
2000年9月 東京営業所を東京支店に昇格。
2003年3月 千葉県木更津市にかずさ研究室を開設。
2003年9月 箕沖工場敷地内に第2研究所完成。
2004年9月 合弁会社 ヨード・ファインケム株式会社を設立。
2006年2月 箕沖工場敷地内に医薬生産工場完成。
2007年4月 本社を広島県福山市箕沖町の福山工場(事業所名変更:旧箕沖工場)敷地内に移転。
2007年5月 東京支店を東京都中央区日本橋三丁目に移転。
2008年4月 東京支店を東京支社に昇格。
2008年12月 千葉県君津市にかずさ研究室を移転。
2009年4月 八幸通商株式会社(現・連結子会社)の発行済全株式を取得し、同社の100%出資子会社である南京八幸薬業科技有限公司(現・連結子会社)とともに連結の範囲に含める。
2009年6月 福山工場敷地内に医薬品倉庫完成。
2013年1月 海外市場の開拓を積極的に取組むため、「海外企画開発室」を設置。
2016年3月 中国上海市にマナック(上海)貿易有限公司を設立。
2016年7月 本社を東京都中央区日本橋に移転。
2017年4月 マナック(上海)貿易有限公司を連結の範囲に含める。
2018年10月 八幸通商株式会社(連結子会社)が100%持分を有する南京八幸薬業科技有限公司の持分の全てを譲渡したことに伴い、南京八幸薬業科技有限公司を連結の範囲から除外。